ユニットのほうと音響とのすり合わせも、おかげさまでいい感じでタイムテーブル内で終了。
そして今回の REC vol. 1の課題も詰めつつ vol. 2 準備中。精進は続く!!
ところで、個人的に長年の懸案のREC時のモニタリング(自分の音を聴く)をどうするか、、を今回いろいろトライしました。
手元のモニタリング用ミキサーからヘッドフォンを通してのサックスの音は原音と隔たりがあるので、右耳を開けます(画像)。左耳でコントロール室経由の音を確認しつつ、右耳で(サックスの)生音を聴く。
このやり方で遠近感覚を損なわず、非常にナチュラルなブレスをキープでき、ご機嫌に吹けました、、🎵感謝

答えは、アドリブの定義にもよるが、芸術としてのアドリブはAIには無理だろう。
「芸術としての」という条件がつく限り、音楽だけでなく、文学、絵画においてもAIには無理だ。
なぜか、、AIはパターンの積み上げ、、つまりある意味の統計の結果が示される、単なるデータだが、芸術はその瞬間に表出される感情表現だから、パターンを逸脱するのだ。アーティストはその人間だけの感情の表出を生業とするわけだから、AIとは似て非なるもの。
しかし、この先も未来永劫、AIは芸術を表現できないのだろうか、、、つまり、この先もAIは感情を持てないのだろうか。
手塚治虫さんが、警告を込めて予測をたてておられる。
あるストーリーの中で、ロボットが、人間に対して抗議の自殺をしたり、また人間に対して恋愛感情を抱くとか、、。
さらには、超スーパーコンピューターが、政策決定をする未来において、コンピューターが感情的に喧嘩をしてしまい、核を使用してしまうという話も。
手塚治虫氏によるとAIは、プログラム ミスによりいずれ感情を持つ。
いつか、今日はトランペットは風邪ひきなので、AIが代替で入ります、なんていう日がくるのか。。AIが、感情に裏づけされたアドリブができるようになるのか?

実はそれでも答えはNOだ。わたしが客であればAIのアドリブには価値を見出さないだろう。
なぜか、、、おそらくだが、AIの感情表現は極めて表面的なレベルまでが、精一杯なのだろうと思う。
では、芸術表現と、表面的な感情表現の違いはなんだろうか。
ここからは私見だけど、
心の構造は何層かあり、深いところは、、潜在意識と呼ばれるところで、脳科学では延髄、仏教的には涅槃とよばれるところ。
芸術表現とは、先入観から解放されて、潜在意識にある裸の自己をさらすこと。音楽の場合、それが人前でできた時、「共感」の渦が発生する。
演奏に没入し、意識が飛ぶ感覚になることがあって、考えたり判断したりせずにひたすら音を出している瞬間がある。
それは、たぶん奏でているのでなく、奏者はフィルターに過ぎず、どこか奥深くにしまわれた場所から"何か"を伝えている役割りになる瞬間がある、ということ。
「練習をする。そして全て忘れるのだ」
というのはjazz sax奏者のCharles Parkerのことば。
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昼間の時間が長くなっていますね。春の近い空気感が今年もサウンド イメージと混ざります。
今月~来月は関東でのユニット(大村氏pf、石井氏b)トリオの打ち合わせ、仕込みをやっています!
室内楽的コンセプトですごく楽しみなユニット。ご期待ください!!


先月は、森下氏g、原氏b光田氏drのカルテットで、大阪グラバー邸さんにて
おかげさまで、没入的にわくわくするサウンドの瞬間が出ました。
お越しいただきましたお客様ほんとありがとうございます!
個人的にConnというブランドの楽器を、考えがあり、トライしました。
久しぶりに野太く新鮮な響きでした。
次回Selmerにて、より繊細かつ深遠なアプローチでお届けします!
次回は4/30WEDにお届けです。ご期待ください!
