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KenichiFujiwara 

藤原健壱 since2015

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音楽を届けるのに、スマホで聴いてもらうことがかなり多い。意外と、スピーカーで聴くという方が多い。

私は最も普及したiPhoneは持つようにしている。

今までのモデルも何らかの形で、すべてチェックしてきた。


そんな中で、かなり以前では6s、最近のモデルではiPhone13がナチュラルで気に入っていた。

特にアコースティックジャズの生の感じがバランスも絶妙だ。


最近になってiPhone17の音がいい、という話を聴くようになり、早速ショップへリサーチに行く。

ここで良くある誤解で、「音の好み」は自然/原音が好きな方と、低音や高音がブーストされた音が好きなかたにおおきくはわかれる。

ここでいう「いい音」というのはアコースティック楽器の音が自然な音色とバランスで聞こえる、ということ。


店内はざわつき、あまり集中はできなかったのだけど、ざっくりの印象は、17よりも、そのときは16の方がバランス良くきこえた。

13も古くなってきたので、数日して16を購入。まず、手持ちの13と聞き比べてみた。

環境は自室で、vol も かえつつの比較。


音源はPaul DesmondのOneSongと、藤原のインスタにアップしているもの。

両音源とも感想は同じで、まず感じたのは16はMac Proのスピーカーに近づいた感じ

Mac Proのスピーカーの音は、アナログ的な温かみを感じさせる、デジタルとの境界あたりを絶妙に出してくれる。16はそこに迫る。


1点だけ、iPhone16はややbassが出るので、アコースティックのジャズカルテットでいうと、ここまでwood bassが前に出てきこえるのは、好みが分かれる。

おおまかな結論としては、アルトサックスの音域は絶妙だ。まろやかに しあがっている。16のスピーカー関連の仕上げは私はすきだ。


iPhone13はeffectの装飾を感じさせない範囲で原音に迫る。残響が少なめのスタジオでのアコースティックな楽器を聴いた感じ。

クリエイターの立場では、16にあわせて仕上げてしまうよりも、よりシビアな原音に近い13でも聴ける仕上がりにすれば、16では自然にいい感じでeffectされる。。 というふうに行程が決まるわけだ。


17については、仲のいい生徒さんが納期待ちなので、楽しみだ。ざわついたショップで聴いた感想は、16よりも 高音と低音にインパクトを感じた。そこは好みなので、それぞれがhappyになれるものでいい。

今後、17が普及型になるのか、それとも16が根強く残るのか、、興味深い。

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いずれも左が13で右が16。

画像の色彩もノーマルで違っている。   2025 10/16加筆

答えは、アドリブの定義にもよるが、芸術としてのアドリブはAIには無理だろう。


「芸術としての」という条件がつく限り、音楽だけでなく、文学、絵画においてもAIには無理だ。

なぜか、、AIはパターンの積み上げ、、つまりある意味の統計の結果が示される、単なるデータだが、芸術はその瞬間に表出される感情表現だから、パターンを逸脱するのだ。アーティストはその人間だけの感情の表出を生業とするわけだから、AIとは似て非なるもの。


しかし、この先も未来永劫、AIは芸術を表現できないのだろうか、、、つまり、この先もAIは感情を持てないのだろうか。

手塚治虫さんが、警告を込めて予測をたてておられる。

あるストーリーの中で、ロボットが、人間に対して抗議の自殺をしたり、また人間に対して恋愛感情を抱くとか、、。

さらには、超スーパーコンピューターが、政策決定をする未来において、コンピューターが感情的に喧嘩をしてしまい、核を使用してしまうという話も。

手塚治虫氏によるとAIは、プログラム ミスによりいずれ感情を持つ。



いつか、今日はトランペットは風邪ひきなので、AIが代替で入ります、なんていう日がくるのか。。AIが、感情に裏づけされたアドリブができるようになるのか?


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実はそれでも答えはNOだ。わたしが客であればAIのアドリブには価値を見出さないだろう。

なぜか、、、おそらくだが、AIの感情表現は極めて表面的なレベルまでが、精一杯なのだろうと思う。


では、芸術表現と、表面的な感情表現の違いはなんだろうか。

ここからは私見だけど、

心の構造は何層かあり、深いところは、、潜在意識と呼ばれるところで、脳科学では延髄、仏教的には涅槃とよばれるところ。

芸術表現とは、先入観から解放されて、潜在意識にある裸の自己をさらすこと。音楽の場合、それが人前でできた時、「共感」の渦が発生する。

演奏に没入し、意識が飛ぶ感覚になることがあって、考えたり判断したりせずにひたすら音を出している瞬間がある。

それは、たぶん奏でているのでなく、奏者はフィルターに過ぎず、どこか奥深くにしまわれた場所から"何か"を伝えている役割りになる瞬間がある、ということ。


「練習をする。そして全て忘れるのだ」

というのはjazz sax奏者のCharles Parkerのことば。


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ジャズミュージシャンがクラシックを聴くとどうしてもコードが頭に浮かんでしまう。Claude Achille Debussy ドビュッシーがジャズピアニストに人気なのもドビュッシーのコード展開は非常に現代ジャズの源泉のひとつだからではないだろうか。バッハもコードを聴くとBe-Bopの源泉を感じる。実際に*チャーリー・パーカーのアイドルはLester YoungとBachだったという。


"シチリアーナ"は17世紀から18世紀に流行した牧歌的だけど洗練とも矛盾しない独特の光景を感じさせてくれるサウンド。 この曲の作曲者のフランスのGabriel Fauré ガブリエル・フォーレは、彼が生まれた時にはショパンがまだ作曲を行っており、最晩年にはジャズや、新ウィーン楽派の無調音楽が聴かれるようになっていたころだそう。


40secあたりからBメロへのきっかけとしてGmに解決した後Gのメジャーキーに移行してそのままEmへというところが部屋のカーテンをあけた瞬間にすっと光線がさすようで心地いい。


*出典 ”La leggenda di Charlie Parker” by Robert George Reisner Published by Mondadori, Milano, 1980



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