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AIはアドリブを構成できるのか??

  • 執筆者の写真: Kenichi Fujiwara 藤原健壱
    Kenichi Fujiwara 藤原健壱
  • 2月8日
  • 読了時間: 2分

答えは、アドリブの定義にもよるが、芸術としてのアドリブはAIには無理だろう。


「芸術としての」という条件がつく限り、音楽だけでなく、文学、絵画においてもAIには無理だ。

なぜか、、AIはパターンの積み上げ、、つまりある意味の統計の結果が示される、単なるデータだが、芸術はその瞬間に表出される感情表現だから、パターンを逸脱するのだ。アーティストはその人間だけの感情の表出を生業とするわけだから、AIとは似て非なるもの。


しかし、この先も未来永劫、AIは芸術を表現できないのだろうか、、、つまり、この先もAIは感情を持てないのだろうか。

手塚治虫さんが、警告を込めて予測をたてておられる。

あるストーリーの中で、ロボットが、人間に対して抗議の自殺をしたり、また人間に対して恋愛感情を抱くとか、、。

さらには、超スーパーコンピューターが、政策決定をする未来において、コンピューターが感情的に喧嘩をしてしまい、核を使用してしまうという話も。

手塚治虫氏によるとAIは、プログラム ミスによりいずれ感情を持つ。



いつか、今日はトランペットは風邪ひきなので、AIが代替で入ります、なんていう日がくるのか。。AIが、感情に裏づけされたアドリブができるようになるのか?



実はそれでも答えはNOだ。わたしが客であればAIのアドリブには価値を見出さないだろう。

なぜか、、、おそらくだが、AIの感情表現は極めて表面的なレベルまでが、精一杯なのだろうと思う。


では、芸術表現と、表面的な感情表現の違いはなんだろうか。

ここからは私見だけど、

心の構造は何層かあり、深いところは、、潜在意識と呼ばれるところで、脳科学では延髄、仏教的には涅槃とよばれるところ。

芸術表現とは、先入観から解放されて、潜在意識にある裸の自己をさらすこと。音楽の場合、それが人前でできた時、「共感」の渦が発生する。

演奏に没入し、意識が飛ぶ感覚になることがあって、考えたり判断したりせずにひたすら音を出している瞬間がある。

それは、たぶん奏でているのでなく、奏者はフィルターに過ぎず、どこか奥深くにしまわれた場所から"何か"を伝えている役割りになる瞬間がある、ということ。


「練習をする。そして全て忘れるのだ」

というのはjazz sax奏者のCharles Parkerのことば。


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